熊本城のいま
今回の熊本地震により、熊本県内の文化財にも甚大な被害が発生しました。
その中でも、熊本を代表する観光地であり、熊本のシンボルでもある熊本城は甚大な被害を受けております。
被害状況は深刻で、重要文化財に指定されている櫓や門など13の建築物全てに深刻な被害が出ております。
現存する城郭の塀としては最長の全長242メートルにもなる長塀は約100メートルが倒壊し、
宇土櫓の続櫓や不開門も完全に倒壊、東十八間櫓は石垣ごと崩落してしまいました。
戦後の1960年に再建された大天守はしゃちほこが落下。
2005年再建の飯田丸は石垣の崩壊が続き、いまや一本の石垣で支えられており、
櫓がいつ落下してもおかしくない状態となっています。
飯田丸五階櫓
城彩園からは石垣が崩落した飯田丸五階櫓の様子が確認できます。
飯田丸五階櫓は櫓と言っても、小さなお城では天守閣に相当する大規模な櫓です。
その土台となる石垣が崩落してしまい、石垣の角の「算木積み」の部分(一本石垣)だけで櫓を支えている状況です。
現在は「仮受構台[かりうけこうだい]」と呼ばれる、「コ」の字形の鉄骨のアームで櫓を抱えこむように支えています。
城彩園から二の丸駐車場に向かう未申櫓前の通路では、両脇に立入禁止の柵が設けられていました。
戌亥櫓
二の丸広場から見える西出丸塀は飯田丸五階櫓と同じように、櫓(やぐら)の崩壊を「一本石垣」でふんばっています。
戌亥櫓は本丸の北西(戌亥)に位置しており、加藤清正が1607年に熊本城を完成させた時からありましたが、
1877年の西南戦争後に解体されたとされていました。
現在のものは、2003年、約4億6000万円をかけて復元したものです。
加藤神社から天守閣
加藤神社からは「大天守」と「小天守」、「宇土櫓(重要文化財)」を見ることが出来ました。
天守閣は屋根瓦や鯱が崩落してしまい、屋根には雑草が生えていました。
また、よく見るとわかるのですが、「小天守」は石垣と母屋の間に隙間が出来てしまっています。
熊本城は、加藤清正が1601(慶長6年)から1607年(慶長12年)にかけて築いた城です。
力強く優美な外観、壮大な石垣など見所が多く、姫路城、松本城とともに、日本三大名城のひとつとされています。
今回の地震の被害は大きく、復旧には10年〜20年、費用にして560億円以上とも言われる莫大な資金が必要となっております。
熊本城は、歴史のなかで何度も焼失や取り壊しがあり、そのたびに復元を繰り返してきています。
復旧が完了した時には、こうして熊本城を違う側面から見学できる機会はなくなってしいますので、ぜひ熊本城の今を見に来てください。